QRコード
QRCODE
インフォメーション
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 0人
プロフィール
fujiyan
オーナーへメッセージ

2008年07月16日

プロジェクトスタート

ごぶさたしてすみません。

 安曇野堀金「れんげの里」づくりプロジェクトは3つのグループから構成されています。れんげ、米、黒大豆、そばなどの作物について管理運営等作業を企画する「農作業グループ」。作物の加工、販売を企画するとともに、れんげをテーマにしたイベントを企画する「加工・イベントグループ」。常念岳と安曇野堀金地域に咲き誇る花をテーマとした写真コンクールを企画する「写真グループ」です。企画は各グループが行い事業にはチーム全体であたります。
 その中の農作業グループが4月20日(日)事業用地確認のため集まりました。グループ長は岳ちゃん、サブグループ長は拓ちゃん、二人とも若き農業者で私(はるか父)が頼りにしています。
 確認した事業用地は、圃場整備はされていないものの、北アルプスを西に望み景観は絶好でれんげが咲けばとても絵になり、耕作もしやすい所でした、一箇所を除けば。。。。。
 その一箇所とは髭の兄さんが見つけてきたところで、よく言われる遊休荒廃農地であります。

「う~ん、どうしようか」「う~ん、参ったな」など集まったメンバーから口々にため息混じりの言葉が出ました。「でも、髭の兄さんが話しつけてきちゃったからな」「やるか」と結局は事業用地することなりました(この事業用地のおかげで思いがけない展開なるとはこのとき誰も分かりませんでした)。
 翌週4月26日(土)役員会を開催し、事業用地を正式に確定し、合計13,301平方メートルをれんげで彩ることになりました。  

Posted by fujiyan at 14:54Comments(1)TrackBack(0)

2008年06月13日

こうしてプロジェクトは始まった

 平成20年4月12日、安曇野堀金「れんげの里」づくりプロジェクト概要説明会を開催しました。3日前地元有力新聞に開催の告知をお願いしたところ1面トップの扱いをしていただいたおかげもあって21名の参加がありました。私(はるか父)と髭の兄さんは、前にならんで、定刻の午後1時30分に説明を始めました。このプロジェクトを行おうとしたきっかけから私たちの生い立ちなどから説明しはじめました。そして安曇野の堀金から発信する理由を語りました。「堀金小学校が1年の1回発行する文集は『れんげ田』といいます。また堀金中学校の校歌の2番は『げんげ田に白壁映えて』とあります、『げんげ』とは広辞苑などいろんな辞書で調べたところ『れんげ』のことを指します。また、『安曇野』という名称を広めた作家臼井吉見は随筆集で幼少のころあったれんげの景色がなくなったことを嘆いた」など説明し、組織体制と3年間の計画を示しました。
参加者からは「堀金だけなのか」など意見がでましたが、のちに安曇野市内に広げて生きたいことを説明し概要説明会は約1時間ほどで終了しました。そして私(はるか父)は言いました。「皆さんどうでしょうか、ご賛同いただきこのプロジェクトに参画いただける方は、引き続き残っていただき、『安曇野堀金「れんげの里」づくりプロジェクトチーム設立総会』に移行したいと思いますのでお願いします。」と、この呼びかけに19名の方が残っていただき設立総会に入りました。総会では、まず規約を承認していただき、役員の選出になり、私(はるか父)に一任していただき、リーダー以下役員の名前を呼び上げ全会一致で承認。引き続き事業計画、予算を承認していただき無事終了しました。時計を見たら午後4時40分、あっという間の3時間でありました。参画していただいた方々は、皆、目が輝き、このプロジェクトに大きな期待をしているように感じました。

午後7時、私(はるか父)と髭の兄さんと安曇野地域住民ネットワークの渡辺さんと私(はるか父)の元上司で渡辺さんの友人の方4人で居酒屋にいました。渡辺さん「いやー良かった」髭の兄さん「そうですね」渡辺さんの友人「れんげを咲かせるなんて、なんか格好いいね」私(はるか父)「えっ」私(はるか父)は「格好いい」という言葉に反応しました。実は私(はるか父)が尊敬する人の一人、前茅野市長矢崎さんがある本で語っていた組織を活性化するコツ「楽しいこと」「格好いいこと」「少しためになること」を思い出しました。このプロジェクトは成功するか期待しつつまた、皆で夢を語りながら夜が更けていきました。
こうしてプロジェクトは始まりました。  

Posted by fujiyan at 15:08Comments(0)TrackBack(0)

2008年06月08日

このプロジェクトが始まるまで4

ごぶさたしてすみません。

さて、用意はできた、最後は組織するための人選だ。リーダー、サブリーダー、事務局長、会計、幹事6人、監事2人が必要だ。
監事は、寄附をしていただける安曇野住民地域ネットワークと臼井吉見文学館友の会から選出していただこう。幹事は、齋藤さん親子と同じ職場の写真が好きな黒岩さん、あとは、南安曇農業高等学校の農業クラブ会長になってもらおう(高校生の参画)。あと、安曇野地域住民ネットワークと臼井吉見文学館友の会から1人ずつ選出していただき計6人。会計は、なれたところで髭の兄さん、事務局長は、安曇野地域住民ネットワーク代表の渡辺さん、サブリーダーは、南安曇農業高等学校木舩先生だ。ここまでは順調に内諾いただけましたが、あとは一番のリーダーだ。。。。。
私(はるか父)は、3月末の土曜日、地元の農業委員さんのお宅にお邪魔した。その方は、元村の消防団長で、昔お世話になった方であります。私(はるか父)は、率直に相談しました「誰が、いいですかね」。「う~ん、俺がやってもいいんだが今は忙しくて受けられないからな、数日待ってくれ、連絡するから」。と私(はるか父)は1週間待ちました。
私(はるか父)が長野市に出張していた時、携帯がなりました。「もしもし、俺(農業委員さん)だけど、伊藤さんにお願いしたらやってくれるって」。「えっ、本当ですか」。伊藤さんとは、元農協OBで3月末まで農業の地域マネジャーをしていた方、最適任者だ。
これで、準備は整った。私(はるか父)は決めた、「よし、プロジェクトと始めよう、まずは説明会だ、日にちは平成20年4月12日(土)だ」
こうしてプロジェクトは動き始めました。  

Posted by fujiyan at 14:50Comments(0)TrackBack(0)

2008年05月29日

このプロジェクトが始まるまで3

 こぶさたしてしまいました、すみません。

 さて、私(はるか父)は大先生の教えを忠実に守り準備を始めました。一般にいえば、世の中は「人・物・金」。大先生の教えは「土地・資本・労力」であります。
 まずは、「土地」についてです。まず、数年前まで個人でれんげ祭りを行っていた、齋藤さんに電話してみました。「もしもし、私(はるか父)です、齋藤さん教えて欲しいことがあるんですけど、実はれんげ田を復活させたいと思っているんですけど」「おう、そうか、誰か言い出す奴が出でこないかと思っていたんだよ、いやーやれや、やれや、土地は、俺の土地を使え、回りにも声かけてやるから」となんと電話一つで、土地の心配がなくなりました。それから、髭の兄さんから電話「あの、家の北の田んぼ、何も作っていないから、れんげ田にしてもいいって、地主と話してきたから」と、合計で約8,800平方メートルの事業用地を確保することができました。よし、土地はどうにかなった。
 次に「資本」です。れんげの種代と事業用地の整備代でおよそ15万円くらいになりそうだと試算しました。半分は、市の補助金「つながりひろがる地域づくり事業補助金」に申請しよう、あと半分の財源が必要だ、会費を一人1,000円としても30人集めて3万円かあと4万ほど足りないどうしよう・・・・ そんなことを悩んでいるとき、安曇野地域住民ネットワークの渡辺さんとお会いする機会があり、率直に話しました。そしたら渡辺さん「お金のことだけど、安曇野地域住民ネットワークの方々、臼井吉見文学館、臼井吉見文学館友の会にも話しまして、寄附をさせていただきたいと思いまして」・・・なんと一気にお金のことも見通しがたちました。
 最後に労力です。私(はるか父)は3月のある日、南安曇農業高等学校にいました。先に出てきた齋藤さんの息子さん(これからは岳ちゃんと呼びます)の紹介で南安曇農業高等学校の農業クラブ顧問の木舩先生にお会いし、プロジェクトの説明をしました。なぜ南安曇農業高等学校に行ったかと申しますと高校の第2農業が当地域にあったからです。ひととおり説明すると木舩先生は「いいことだね、第2農業にも蒔きたいな、学校としても協力しますよ」となんと「労力」のみならずさらに「土地」も確保できました。
 土地は最終的に約13,300平方メートル、資本は予算額約20万円、労力は参画者と南安曇農業高等学校の生徒。これで大先生に言われたことに全てを確保することができました。
 この間約3週間で行ったこと、やや不安はありましたが確実に事業ができる兆しが見えてきました。  

Posted by fujiyan at 16:53Comments(0)TrackBack(0)

2008年05月11日

このプロジェクトが始まるまで番外編

 さて、このプロジェクトに関しては多くの方からご指導、ご助言を頂いております。企画書を作成する段階から、色んな方にお話を伺い参考にさせていただきました。
 その中でも特に触れておきたい方がいます。その方は私(はるか父)が就職したときの職場で最も偉かった方です(これからは「大先生」とお呼びさせていただきます)。
 大先生は、元高校の教諭で、県の高等学校校長会長も務められたこともあります。聞いた話によると一般的に校長会長になる方は、東大か信大卒であるのというのですが、大先生におかれましては、別の大学出身。なぜ校長会長を務めることになってかといいますと、一度お会いすれば皆分かるほどの「人格者」であるからであります。
 大先生も今では80歳になられましたが、大好きな農業と文学を楽しんで生活を送られております。レンゲにつきましても、農業に関すること、早速、私(はるか父)は、大先生に連絡をさせていただきました。
 「ご無沙汰してます、大先生、私(はるか父)です」「おお久しぶりだな、元気にやっているかな」「はい、大先生どうにか息はしてます」「また、そんなこと言って、若いんだからしっかりやらないと、ところでどうした」「はい、大先生実はレンゲ草を復活させようと思っているんですが」「お~それはおもしろそうだね、電話では何だから家に来なさい」「はい、大先生」と私は早速作りかけの企画書を持って大先生の家にお邪魔しました。
 「こんにちは」「おう待っていたぞ」「お邪魔します、早速ですが実はあれこれ・・・・」「うーん、これはいい事業だ、国営公園でも一時やったな」「そうなんですか」「いいかい、農業は、土地と資本と労力が大事な三要素だ、これを肝に銘じてやりなさい、アドバイスはするから」「ありがとうございます」とこのような感じで私(はるか父)はことあるごとに、電話もしくはご自宅に伺って、ご助言いただき、企画書を作成することが出来ました。
 前日記載の「レンゲ」が「れんげ」に変わったのもこの大先生からのご助言からであります。
 また、この大先生は、プロジェクトチームの顧問になっていただきました。
   

Posted by fujiyan at 15:40Comments(0)TrackBack(0)

2008年05月10日

このプロジェクトが始まるまで2

 3月初旬のある夜、私(はるか父)と髭の兄さんは、臼井吉見文学館にいた。
 実はこの夜、臼井吉見文学館で安曇野地域住民ネットワークの定例月会が行われていた。安曇野地域住民ネットワークの渡辺代表さんから「レンゲの話、皆さんに聞いてもらったら」と声をかけてもらったからである。新聞の記事を見てから約3週間、私(はるか父)と髭の兄さんは、お互いの知識(低レベル)と人脈(高レベル)を駆使し、プロジェクトの企画書を作成した(この時にお世話になった方々には、素人な質問にも丁寧にお答えいただき大変ありがたかったです)。そして完成したのが”安曇野堀金「レンゲの里」づくりプロジェクト“である(後に「レンゲ」は「れんげ」と表記が変わる:後日説明)
 さて、安曇野地域住民ネットワークの定例月会に戻る。審議・協議事項が終わり、別室で待っていた私(はるか父)と髭の兄さんが会議室に呼ばれた。
 渡辺代表さんから紹介され、私たちは安曇野地域住民ネットワークの役員の方々に説明を始めました(こういうのはプレゼンと言うのでしょうか?)。なぜ、安曇野にレンゲなのか、どうしたいのか、どういう手法で行うのか、お金はどうするのか、どこでやるのかなどなど約20分にわたり説明をさせていただきました。
 説明が終わり、役員の方々から質問がありました「堀金だけなの」「まずは」「国営公園と結びつけば」「それはのちに」などなどでした。こういった説明をした時には一般的に批判的な意見が多い中、さすが安曇野地域住民ネットワーク。プロジェクトに興味を示していただき、前向きにバックアップしてくれることに。
 説明を終えた帰り道、私(はるか父)と髭の兄さんは「なんかうまくいきそうだね」「いい感じだ」「どうにかなりそうだね」「うん」とお互い手ごたえを感じ始めたのでした。  

Posted by fujiyan at 11:00Comments(0)TrackBack(0)

2008年05月09日

このプロジェクトが始まるまで

 安曇野市が発足して早2年余。
 私(はるか父)は、研修により今の職場は離れていました。その代わりに髭の兄さんが私の職場に研修にきました(いわゆる人事交流)。お互い研修が済み、元の職場にそれぞれ戻りましたが、髭の兄さんは、安曇野に住を築き共に安曇野市民となりました。幸か不幸か、子どもが同じ年で、同じ小学校。これも縁か、スキーなどに子ども連れで遊びに行く仲になっていました(以前は単なる飲み仲間)。
 髭の兄さんは東京の中野に生れ育ち、長野県に就職(いわゆるIターン)。なぜ長野県なのか、それは彼の母親が旧豊科町の出身だったのが大きいな要因ではないかと思う(本人には確認したことがないが・・)。
 さて、このプロジェクトが発端だが、彼と子ども連れでスキーに行ったとき、リフトに乗っている最中の会話のなかで彼は「幼少のころ、母の実家に遊びに行った時、あたりはレンゲ草で満ち溢れていたよ。なあ、昔みたいに安曇野をレンゲでいっぱいに出来ないかなあ」と語りかけてきました。私は「ふ~ん、レンゲね」と聞き流していました。なぜなら私はあまりレンゲ畑で遊んだという記憶がなかったものですから・・・。
 それから数週間後のある朝、地元有力新聞を読んでいると”安曇野地域住民ネットワーク「間伐材で鉢カバー」臼井吉見文学会に寄贈“との見出しの記事。ふ~んとよく読んでみるとプラスチック製のプランターに間伐材で作ったプランターカバーを寄贈したとの事。さらに読み続けるとプランターに植えているのは臼井吉見がこよなく愛した「レンゲ」とのこと・・・・。
 「えっ、レンゲ !! 」 こんな近くで「レンゲ」を育ている方々いるなんて。早速私は、たまたま知り合いだった安曇野地域住民ネットワークの代表渡辺さんに電話をしました。「渡辺さん、今朝新聞を見まして、レンゲを育てているですね」「そうだよ、それがどうかしましたか」「実は安曇野にレンゲ田を復活させたいという話があるんですけど」「それはおもしろそうだね」
 こんな感じでこのプロジェクト始まりました。  

Posted by fujiyan at 14:50Comments(0)TrackBack(0)